「市街地編・蟻高懐古」_10
同心小路を西へ抜けると、当時は左(南方向)に曲がるしかなくて、その付近に豆腐料理店「まるゐ」があった。安くて美味しくてボリュームもあって在学中も行ったほか、卒業してからも帰郷の度に幾度も通った覚えがある。残念ながら同店は都市再開発事業を契機に閉店してしまった。
![旧まるゐ付近](https://static.wixstatic.com/media/d58a4c_028f266da05d43ef8b13009eafc547a7~mv2.jpg/v1/fill/w_147,h_110,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/d58a4c_028f266da05d43ef8b13009eafc547a7~mv2.jpg)
面目を一変した当時の小路。現在は時計博物館前の広い通りになり、蔵造りの割烹「浦島」などが往事の面影を残している。この細道には中華料理店の「盧山」もあって、やたらに安価だった学生ラーメン(確か 250 円?)を食べた覚えもある。
![旧第一勧銀](https://static.wixstatic.com/media/d58a4c_23ae8ffd6d0b498787ed89b0bb224c7d~mv2.jpg/v1/fill/w_147,h_110,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,blur_2,enc_auto/d58a4c_23ae8ffd6d0b498787ed89b0bb224c7d~mv2.jpg)
今度は大名町通りをお城に向かって歩く。松本電報電話局前を通る。学生時代は未だ電電公社と呼ばれていた筈である。写真左側の重厚な建物は当時の第一勧業銀行。現在はホテ ルとして用いられてる。
<つづく>